AI(人工知能)の基礎技術である機械学習のソフトウェアライブラリであるTensorflowは、世界中で愛用されている。オープンソースなので、誰でも手軽に無料で活用できるからだ。
TensorFlowを開発したグーグルはこれまでずっと世界の人々に「便利」を無償で提供してきた。検索エンジンしかり、メール機能しかり、世界地図しかり。
そして今回、TensorFlowを無料提供することで、AIの便利さを拡散しようとしているのである。グーグルは一体、TensorFlowで何をしようとしているのか。
4000年前の象形文字を解読する
紀元前2000年前は、いまからおよそ4000年前にあたる。そのころの古代エジプトにはすでに文字があり、壁画などに書かれたものがいまでも残っている。ただそれは、現代の文字とはまったく似ていない記号だったり、そもそも絵だったりするので、誰もが解読できるわけではない。これを象形文字という。
フランスのゲームソフト開発・販売会社のUBISOFT社は、AIを使って古代エジプトの象形文字の解読に乗り出すことにした。UBISOFTは東京・渋谷にも拠点がある。
このプロジェクト名は「THE HIEROGLYPHICS INITIATIVE」。ヒエログリフは神聖文字や聖刻文字と訳されている。UBISOFTのヒット作品のなかに「アサシンクリード」というゲームがあって、暗殺者の子孫が先祖の記憶を追体験する内容だ。つまりUBISOFTとしては過去や歴史にまつわるこの象形文字解読事業は、自社ゲームのPRにつながる。解読に成功すれば世界的に認知度が広がるし、AIを使うのでコンピュータソフトの開発能力をアピールすることもできる。
AIを使わずに、人の頭脳だけで象形文字を解読しようとする場合、過去の記録や資料を何度も参照しなければならない。しかし、「THE HIEROGLYPHICS INITIATIVE」プロジェクトが成功すれば、AIの画像認識技術と自然言語処理技術を使って、象形文字が瞬時に一般的な言語に翻訳できるようになる。
画像認識技術が欠かせない
画像認識技術とは、膨大な枚数の画像データのなかから一定の法則を読み取り、特定の対象物を探し出す技術だ。例えば大量の動物写真のなかから犬の写真だけを抜き出すとき、画像認識技術を使う。
もしコンピュータが壁画に書かれた象形文字を「傷」と認識してしまったら象形文字は解読できない。アルファベットやひらがなとまったく形が異なる象形文字を、コンピュータに「文字」と認識させるのは容易なことではない。AIなら象形文字を学習することで「象形文字っぽいもの」を検知できる。これがAIの画像認識技術である。
象形文字を英語に翻訳
自然言語処理とは、コンピュータが自然言語を扱う技術だ。自然言語とは、英語や日本語など、人間が自然発生的につくりあげてきた言語のことだ。一方、プログラム言語などの人間が意図的につくりだした言語は人工言語や非自然言語と呼ばれる。コンピュータは通常、プログラム言語しか解さない。そのため、コンピュータに自然言語を解読させるには、AIの自然言語処理技術が必要になる。
象形文字も古代エジプト人がつくった自然言語なので、それを英語や日本語に翻訳するときは自然言語処理技術を使う。
AIの自然言語処理技術は、単語の意味を理解するのはもちろんのこと、前後の文脈を考慮したり、構文を解釈したりできるので、象形文字を「自然な」自然言語に翻訳できるようになる。
グーグル本体が協力しているところがポイント
UBISOFTはこの象形文字解読プロジェクト用にAIを開発したわけだが、そのとき使ったのがグーグルのTensorflowだ。TensorFlowはオープンソースなので使用するときにグーグルの許可が必要なわけではないのだが、今回のプロジェクトにはグーグル本体も協力している。ここが非常に興味深い。
というのも、ゲーム会社UBISOFTがグーグルのオープンソースソフトを使うことは珍しくない。またグーグルがゲーム会社と組んでAIを開発することも特筆に値しない。
しかし、グーグルが好きなAIプロジェクトにいつでも参加できることの意義は大きい。象形文字を解読するというユニークで社会の注目度が高いプロジェクトなら、他のAI関連企業も参加したいだろう。しかしグーグルはTensorFlowを提供しているので、優先的に参加させてもらえる。ここに、グーグルがTensorFlowをテコにしてAIビジネスを拡大しようとしている意図が見え隠れするのである。
TensorFlow以前の動きからグーグルの今の狙いを探る
グーグルがTensorFlowをオープンソース公開したのは2015年11月だが、それ以前も同社はAIの深層学習の基盤となる技術を開発していた。それは2011年に発表したDistBeliefだ。DistBeliefは音声認識やイメージ検索が得意で、グーグルが提供しているサービスのクオリティと精度を格段に向上させたとされている。
ただグーグルはDistBeliefをオープンソース公開しなかった。なぜか。それはDistBeliefがそれぞれのサービスとのつながりが強く、汎用性がなかったからである。汎用性がなければオープンソース化はできない。
汎用性を高めてオープンソース化
第2世代に当たるTensorFlowは、DistBeliefの欠点を補っている。まずそれぞれのサービスへの依存性をなくし、どのサービス、どのソフト、どのアプリでも使えるようにした。そしてグーグルは、性能を上げることも忘れていない。TensorFlowの能力はDistBeliefの2倍に達する。TensorFlowなら、CPUでもGPUでもコードを分ける必要がないから、移植が簡単に行える。
そしてこれは先ほど紹介した象形文字解読プロジェクトに通じる話なのだが、グーグルの開発者たちもTensorFlowを使っている。つまりTensorFlowは、グーグルにとって「無料で公開してももったいないと感じない程度の技術」などではなく、「自分たちもAI開発に使うような最新技術」なのだ。こうすることによってグーグルは、他社との共同プロジェクトを立ち上げやすくなる。グーグルとの共同プロジェクトに参加する企業は、より一層グーグルを頼りにするので、将来の顧客になるというわけだ。
自動運転車ビジネスでも主導権を握るか
例えばグーグルは、自動運転車の開発を進めている。自動運転車にはAIが欠かせない。よって、AI開発で世界をリードしているグーグルは、この分野でもトップを獲る可能性を秘めている。しかし「自動車」という分野では、さすがのグーグルも素人である。
自動車は、「走る曲がる止まる」の基本性能に加えて、「安全に走る安全に曲がる安全に止まる」を実現しなければならない。ところがそれだけでも足りず「快適に走る」必要もあるし、「格好よく走る」ことも求められている。実際、グーグルは自動運転車開発で、レクサスの車両を使っている。
また自動車は社会インフラの構成要素でもあるので、自動車ビジネスにはタクシー会社やバス会社、道路整備会社、信号機メーカーなども参入している。
このように自動運転車ビジネスを概観すると、あの巨大ネット企業のグーグルですら「AIという一部のパーツ」をつくっているにすぎない。しかし自動運転車関連企業が、無料で使えるTensorFlowでAIを開発するようになれば、どの企業もグーグルを頼りにするようになるだろう。
これは自動運転車ビジネスだけの話である。AIは自動翻訳や顔認識、音声認識、全自動工場、全自動コンビニなど、これから誕生する新サービスの多くに搭載される。これらの多くでグーグルが主導権を握ることができれば、TensorFlowのオープンソース化ぐらい「安い投資」となるのだろう。
グーグルの次の一手は「外で使うAI」
TensorFlowはパソコン用のAIツールだが、グーグルは2017年にスマホやタブレットなどモバイル端末で使えるTensorFlow Liteを公開した。Liteは「少し」「小さい」「軽い」という意味。
TensorFlow Liteのコンセプトは「machine learning on the go」だ。意味は「機械学習を外に持ち出そう」。デスクトップパソコンは外に持ち出せないし、ノートパソコンでも戸外で使うのは気が引ける。しかしスマホやタブレットに機械学習を搭載すれば気軽に外で使うことができる。TensorFlow Liteは、元祖のTensorFlowを小型化しただけでなく、高速化、低遅延化している。
ライバルたちもモバイルに注目
グーグルがTensorFlow Liteを開発・公開した背景にはライバルたちの存在がある。フェイスブックは2016年にスマホで画像加工ができるCaffe2Goを発表し、アップルもiPhone向け機械学習を進化させている。
ではモバイル端末にAIを搭載し、AIを外に持ち出せるようになると、どのようなメリットが生まれるのだろうか。どこででもAIが使えるようになれば、「AI出張サービス」が可能になる。企業がAIを導入すると省人化できるから、今後AIが爆発的に普及すれば大企業と中小企業の力の差は相当縮まる。しかししばらくは体力のなさから、中小企業が自前でAIを開発することは難しい。そこでAIサービスの提供に特化したビジネスが現れれば、中小企業は最小限の投資でAIの力を借りることができる。
小規模AIは使い勝手がよさそう
またAIモバイル端末が端末内だけでデータ処理できるようになれば、ネットとつながなくてよくなるので情報流出を防ぐことができる。
つまり、パソコンとクラウドをネットでつなぎ、がっちりセキュリティをかけた「大規模AI」と、モバイル端末だけで完結する「小規模AI」の2つが誕生すれば、企業は自社の身の丈に合ったAIを選択できるようになる。携帯電話が人々の暮らしとビジネスを変えたように、携帯AIも大きな変革をもたらすだろう。
TensorFlowに秘めたグーグルの狙い
TensorFlowもTensorFlow Liteも一般公開されているとはいえ、まだ「開発者のもの」であり「研究者のもの」だ。ネット通販やインスタグラムしかやったことがない人は、TensorFlowを使いこなすことはできないだろう。そういった意味ではまだTensorFlowは親しみやすいサービスではない。
しかしTensorFlowを搭載したサービスは身の回りに増え始めている。いま、グーグル検索を使って何かを調べることを禁じられたら、かなり多くのビジネスパーソンが困るのではないだろうか。それと同じことが起きるかもしれない。もしグーグルが、グーグル検索やグーグルマップと同じような感覚で使えるグーグルAIを開発し無料で提供したら、かなり大きなインパクトを世界に与えるのではないだろうか。
<参考>
- 紀元前2000年の文字を機械学習で解読せよ。Tensorflowを用いた歴史的プロジェクト発足(Ledg.ai)
https://ledge.ai/ubisoft/ - 会社概要(UBISOFT)
http://www.ubisoft.co.jp/corporate/ - 自然言語処理とは(AI研究所)
https://ai-kenkyujo.com/term/natural-language-processing/ - オープンソースのAI・人工知能/TensorFlowとは(OSS×Cloud)
https://www.ossnews.jp/oss_info/TensorFlow - 「機械学習オン・ザ・ゴー」の時代 Googleの「TensorFlow Lite」公開(クラウドWatch)
https://cloud.watch.impress.co.jp/docs/column/infostand/1092401-2.html - オープンソースって何?(エン転職)
https://employment.en-japan.com/tenshoku-daijiten/14887/ - 機械学習・深層学習・AIについて(JIG-SAW)
https://clonos.jp/company/ - ここだけしか聞けない?! Googleが語ったAI活用(codexa)
https://www.codexa.net/ai-google-keynote/
役にたったらいいね!
してください
NISSENデジタルハブは、法人向けにA.Iの活用事例やデータ分析活用事例などの情報を提供しております。