MITやカーネギーメロン大学のように、人工知能(AI)を研究する学術機関は多い。その一方で、AIを活用した研究も盛んである。今回紹介するノースウェスタン大学の研究事例は、AIを活用することで作業やコストの効率化を図ったものだ。材料科学という一見人工知能と関係なさそうな分野でも成果を出せるという事例は、AIの活用を考えるうえで興味深い。
ノースウェスタン大学の研究プロジェクトの概要
ノースウェスタン大学とAI活用
米国イリノイ州シカゴの郊外にあるのが、ノースウェスタン大学だ。日本人にとってなじみが薄い大学かもしれない。しかし、名門私立大学として米国での知名度は高い。U.S.ニューズ&ワールド・リポート誌では、化学分野で米国ランキング6位と上位につける。米国の大学における研究の裾野の広さを垣間見ることができる。
ノースウェスタン大学で2018年4月に発表されたのは、合成ガラスの生成に成功したというものだ。「なぜ人工知能(AI)と関係あるのか?」と疑問に思われる方も多いだろう。実は、ノースウェスタン大学の研究を含めて、材料科学の分野でAIを用いた研究はトレンドになっている。マテリアルズ・インフォマティクス(Materials Informatics)と呼ばれる分野だ。
マテリアルズ・インフォマティクスとは?
マテリアルズ・インフォマティクスとは、材料開発のために人工知能やビッグデータを活用する分野である。材料の組成や構造、製法といった材料設計を、望ましい機能や特性から導き出すのが、「逆問題」と呼ばれる問題だ。この逆問題を解決するのに、研究者の経験や勘といった要因に従来は頼っていた。この分野の研究者にとって、材料設計は腕の見せ所である。その一方で、実際に新素材を生み出すためには長い時間を要する。現在の人工知能のトレンドを考慮すれば、AIを使って新素材の探索をスピーディに行ないたいと考えるのは、自然な流れだといえるだろう。
国家プロジェクトの一環としてのマテリアルズ・インフォマティクス
ノースウェスタン大学の研究事例の背景には、もうひとつ別の潮流がある。マテリアル・インフォマティクス自体は、2000年ごろから提唱された。この潮流が本格化するのは2011年だ。米国のオバマ大統領(当時)が、MGI(Materials Genome Initiative for Global Competitiveness)と呼ばれる、産業の競争力を強化するプロジェクトを発表した。MGIでは、計算とデータ、そして実験の3つを柱として、新素材の開発スピードを2倍にすることが目標に掲げられる。年間予算1億ドルを投入し、ノースウェスタン大学のほかにも、MITやコロラド大学ボルダー校、デューク大学などが活発に研究を行なう。MGIが主導する官民連兼プロジェクト内でのさまざまな議論を経て、ようやくその効果が出つつある中での、今回の研究成果であるともいえよう。
本研究は、ノースウェスタン大学単独で実施されたのでは決してない。SLAC国立加速器研究所とNIST(アメリカ国立標準技術研究所)とによる共同研究だ。SLAC国立加速器研究所は、米国エネルギー省のもとでスタンフォード大学が運営する研究機関である。素粒子物理学からX線科学、化学、材料科学と、研究分野は広範に及ぶ。NISTは米国商務省配下の研究機関で、計測に関する科学や規格、技術を推進することで、米国国内の経済安定を図ることを是としている。まさに国を挙げてのプロジェクトの一環であることが垣間見えよう。
ノースウェスタン大学のプロジェクトの詳細とAIのメカニズム
新素材としての金属ガラスの可能性
ノースウェスタン大学の研究グループが発見したのは、金属ガラスだ。iPhoneの部品にも使用される金属ガラスは、結晶構造をもたない金属である。原子構造が無秩序であるため、強度は結晶金属の約3倍と高い。また原子間に小さな隙間があり、外部から力が加わると原子がわずかながら移動するため、弾性変形をもつ。iPhoneの部品で使用される素材であるように、注目を浴びる素材である。
(出典:https://scienceportal.jst.go.jp/columns/technofront/20121009_01.html )
マテリアル・インフォマティクスが、望ましい機能や特性から材料の組成や構造を導き出す逆問題であることを思い出せば、望ましい金属ガラスを早くコストをかけずに発見したいという材料科学者の意図は容易に想像できよう。
ところが、新しい金属ガラスを発見するのは簡単なことではない。元素の組成の組み合わせを考慮すると、金属ガラスの候補となる合金の種類は数百万にも及ぶ。過去50年間で調査された合金の種類は、6000ほどだ。新しい金属ガラスを発見するのにかかる時間は、膨大である。
機械学習によって金属ガラスの探索を開始
本研究の中心メンバーは、ノースウェスタン大学で材料工学を専門にするクリス・ウォルバートン(Chris Wolverton)教授である。計算機や人工知能(AI)を活用して材料を探索する分野でのパイオニア的存在だ。米国エネルギー省やNISTから研究費を調達しているのも興味深い。まさに、国家プロジェクトの一環である。
ウォルバートン教授らの研究グループは、新しい金属ガラスを発見するために機械学習を用いる。ご存知のように、入力層に取り込んだビッグデータを中間層で学習させることで、出力層から答えを出力する仕組みが、機械学習である。
気になるのは、新しい金属ガラスを発見するために必要な入力データであろう。Landolt-Börnsteinと呼ばれる、材料科学における信頼できる実験結果を集めたデータベースを用いる。このデータベースから、過去50年間に調査された金属ガラスの発見にかかわる実験データを抽出する。抽出された金属ガラスの種類は5313、実験の数は6789だ。
(出典:http://advances.sciencemag.org/content/4/4/eaaq1566.full)
重要なのは、機械学習のために入力データとして使用するのは、金属ガラスの組成と金属ガラスを発見する方法のセットだ。つまり、新素材を発見する方法とその方法によって発見された材料との組み合わせが、新しい金属ガラスを特定する。米国大手のテクノロジー系メディアThe Vergeでのインタビューで、共同研究者のSLAC国立加速器研究所のアパーバ・メータ(Apurva Mehta)氏は、機械学習が新素材を発見するプロセスを言語の学習になぞらえている。記憶した言語の文法を実際に使用しながら学習することと、新素材を発見するための方法を記憶し学習することで新素材の予測を行なうことの2つが、類比的に語られている。
実験結果
今回の実験で材料探索を行なったのは、コバルト(Co)、バナジウム(V)、ジルコニウム(Zr)の3種類の元素からなる金属ガラスだ。
研究グループの提案した機械学習を活用した手法により、金属ガラスを発見できるスピードは約200倍になったという。従来ならば1000年もの時間がかかるものを、たった50年で発見できるのだから驚きというしかない。
(出典:http://advances.sciencemag.org/content/4/4/eaaq1566.full)
図は、コバルト、バナジウム、ジルコニウムの組成比と尤度の関係を表している。この結果は、機械学習によって最初のフェーズで得られたものだ。2つのモデルを用いて、金属ガラスの探索を行なう。各モデルで得られた結果(グラフA,B)を統合したものが、右のグラフ(C)だ。青色が濃いほど、実際に存在しそうな金属ガラスである。この学習結果を分析するのに、HiTp実験が行われる。スパッタリングによって合金を成膜処理し、X線解析によって合金がガラスかどうかを判定するのが、HiTp実験だ。判定された結果が、下図の右端のグラフCである。グラフAとCを比較すればわかるように、1回のフェーズの機械学習だけでは、金属ガラスを上手く絞り込めていないことがわかるだろう。そのため、HiTp実験の結果を踏まえて、再び機械学習を行なうのだ。
(出典:http://advances.sciencemag.org/content/4/4/eaaq1566.full)
機械学習とHiTp実験による合金の評価を繰り返すことで、金属ガラスを発見できる率が上がったという。3回目のフェーズではサンプル数300~400から1個の金属ガラスを、4回目のフェーズでは、サンプル数2~3から1個の金属ガラスを発見できるまでに至っている。
(出典:http://advances.sciencemag.org/content/4/4/eaaq1566.full)
今後の展望
今回の実験は新しい材料を発見するスタート地点になるだろうと、The Vergeのインタビューにウォルバートン教授は答えている。機械学習が教えるのは、コバルト、バナジウム、ジルコニウムの組成比と尤度との関係だけである。正確な組成比に関しては、機械学習の情報はまだ実用レベルでない。一番の問題点は、機械学習に用いる入力データが不足している点にある。先述の通り、データベースから新素材とそれを発見する方法のセットを学習させる。ところが、基本的には新素材を発見できる方法だけを学習させるのであって、新素材を発見に失敗した方法もたくさん存在する。このような失敗例を機械学習に取り込んだ方が、新素材を発見しやすい。
とはいえ、ウォルバートン教授のような材料工学のエキスパートにかかれば、機械学習が教える探索結果を見るだけで、新しい金属ガラスの組成が思いつくという。1000年かかる材料探索が200倍のスピードになるのだから、機械学習が新素材の組成についてヒントを与えるだけでも十分な進歩といえるだろう。ウォルバートン教授は、機械学習のモデルは学習するたびに「賢く」なっているという。材料を探索する機械学習は、まだまだ進歩する余地が残る。
日本のマテリアルズ・インフォマティクス研究も米国を追う
ノースウェスタン大学の研究事例を通じて、米国でのマテリアルズ・インフォマティクスの潮流を今回紹介した。日本にこの分野の動向に関していうと、人工知能(AI)分野では、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)によって、AIへの重点投資が行われている。またマテリアルズ・インフォマティクスに関しては、科学技術振興機構(JST)が主導で、「情報統合型物質・材料開発イニシアティブ(MI2I)」が始まったばかりである。
ともかく、ノースウェスタン大学のAIを活用した研究事例は、高速化とコストの削減という人工知能の魅力を示すものだといえるだろう。
<参考>
- Best Graduate Chemistry Ranking (U.S. News & World Report)
https://www.usnews.com/best-graduate-schools/top-science-schools/chemistry-rankings - About Our Name (SLAC National Accelerator Laboratory)
https://www6.slac.stanford.edu/about/slac-overview/about-our-name - NIST General Information (NIST)
https://www.nist.gov/director/pao/nist-general-information - Apple’s iPhone 5 Made of Metallic Glass and Arrives in October (Forbes)
https://www.forbes.com/sites/timworstall/2012/04/20/apples-iphone-5-made-of-metallic-glass-and-arrives-in-october - How AI is helping us discover materials faster than ever (The Verge)
https://www.theverge.com/2018/4/25/17275270/artificial-intelligence-materials-science-computation - Artificial intelligence accelerates discovery of metallic glass (Northwestern Now)
https://news.northwestern.edu/stories/2018/april/artificial-intelligence-accelerates-discovery-of-metallic-glass/ - Accelerated discovery of metallic glasses through iteration of machine learning and high-throughput experiments (Science Advances)
http://advances.sciencemag.org/content/4/4/eaaq1566.full - 機械学習によって金属ガラス材料の探索を高速化 – 米SLACなどが発表 (マイナビニュース)
https://news.mynavi.jp/article/20180420-619470/ - 金属ガラスの発見を「機械学習」で200倍高速化することに成功 (Gigazine)
https://gigazine.net/news/20180423-ml-accelerate-matellic-glass/ - AIによって新素材の発見が爆速&効率化、いずれは「AIやロボットだけで実験する未来がやってくる」 (Gigazine)
https://gigazine.net/news/20180426-ai-materials-science-computation/ - 金属材料が変わる!! 金属ガラスで変える!! (Science Portal)
https://scienceportal.jst.go.jp/columns/technofront/20121009_01.html - 「マテリアルズ・インフォマティクスが変える材料開発技術」 (Material Stage Vol. 17, No. 11., 大楠恵美)
- 「高分子材料インフォマティクスの現状と課題」 (Material Stage Vol.17, No. 11., 茂本勇)
- 「マテリアルズ・インフォマティクスの現状と将来展望」 (セラミックス 50., 田中功、世古敦人)
- 「人工知能とマテリアルズインフォマティクス」 (工業材料 2016年9月号., 小寺貴之)
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