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AIは芸術も創作する。では著作権はどうなるのか

小説や絵画や映画の予告編をつくるAI(人工知能)が現れた。AIが人の娯楽を生み出すのは興味深いが、作品の著作権はどうなるのだろうか。

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AI(人工知能)を芸術やクリエイティブの分野で活用する動きが広まっている。すでに絵画、小説、映画の予告編をつくることができるAIが現れて、人間を楽しませるレベルに達している。

ただAI作品には課題が多い。AIは疲れを知らないから、作品を量産できてしまう。そうなるとその分野の作品の価格は大暴落してしまうだろう。

また、AIが生み出した作品の著作権は誰のものなのだろうか。AIのプログラムコードを書いたエンジニアのものになるのだろうか、AIを搭載したコンピュータのボタンを押した人のものだろうか。

それともAI自身が著作権者になるのだろうか。

AI(人工知能)-芸術

AIが生かされている芸術分野とは

日本でAI芸術が話題になったのは、2016年の文学賞「第3回日経 星新一賞」(日本経済新聞社主催)だった。AIが書いた小説が一次審査を通過した。

二次審査では落ちてしまったが、審査員の1人は「AI小説は100点満点中60点の出来だった」と述べている。

もちろん星新一賞は「主に」人間の作家を対象とした文学賞だ。ただ「作家AI」からの応募を禁止しているわけでもなかった。

日経は一次審査を通過したAI作品を明らかにしていないが、次の4作品のうちいずれかがその作品であることがわかっている。

4作品のうち2作品をつくったのは、北海道函館市にある公立はこだて未来大学の研究チームだ。この2作品は、登場人物とあらすじを人間がつくり、残りをAIが執筆した。

別の2作品をつくったのは東京大学のチームで、こちらは複数のAIにゲームをさせたところユニークな展開をみせたので、その様子を人間が小説に仕立てた。

したがっていずれも人間とAIの「共著」となるが、それでも文学賞の審査員といえば小説のプロである。そのプロが60点をつける創作物の製作の一端をAIが担ったのは驚くべきことだ。

ところが絵画の世界では、さらに驚くべきことをAIが引き起こしている。

AIが描いた肖像画に43万ドルの値がついた

クリスティーズは、ピカソやゴッホの絵画が出品されたり、ダイアナ妃やマリリン・モンローなど著名人にまつわる物品が競売にかけられたりしたこともある、名門オークションだ。

そのクリスティーズのニューヨーク会場で2018年10月に、パリの芸術家3人グループ「オブビオウス(Obvious)」が出品した肖像画「ベラミ家のエドモン・ド・ベラミ」に約43万ドル(約4,900万円)という価格がついた。

その肖像画は、白いシャツと黒いジャケットを着こんだ男性のような人物が、ぼんやり描かれている、単純な構図だ。直感的に「うまい」と思わせるものではないが、ただ見続けていると抽象画が具象画にみえるような違和感を持つ。素人目にも「芸術性は確かにありそう」と感じるかもしれない。

この肖像画を描いたのはオブビオウスの3人のメンバーではなく、オブビオウスが操作したAIだ。

AIが本物の、しかも高度な芸術品を生み出したことがこのニュースの1つめの驚きだ。

そして2つめの驚きは、オブビオウスが使ったAIは、アメリカの19歳のロビー・バラット氏という人物だったことだ。

バラット氏は自分が開発したAIのプログラムをオープンソースにしていた。オープンソースとは、ソフトウェアのプログラムなどをインターネット上に公開して無料で誰でも使えるようにする行為のことだ。

ここに、AI芸術の課題が生まれてしまった。

肖像画「ベラミ家のエドモン・ド・ベラミ」の著作権は誰が保有すべきなのか。そして43万ドルを手にしてよいのは誰なのか。

肖像画を描いたAIを開発したバラット氏は、「とても不愉快で、オブビオウスがしたことは間違っている」と述べている。バラット氏の元には1円も届いておらず、なおかつ肖像画の製作者にバラット氏の名前が含まれていないからだ。

オープンソースにした以上、誰が「バラットAI」を使って利益を上げてもなんら問題はない。その利益の一部をバラット氏に還元しなければならない法律的な根拠はない。

しかし法律的に問題なくても、道理としての問題があまりに大きい場合、将来的に法律問題になることがある。

43万ドルは道理としての問題があまりに大きいといえるだろう。

オブビオウスは、「バラットAI」は使ったが、今回の肖像画を描かせるためにそのAIに特別な訓練を施したと主張している。つまり今回の肖像画を描いたのは「オブビオウスAI」であり、「バラットAI」ではない、それゆえ43万ドルはオブビオウスで独占しても問題はない、という見解のようだ。

AIがつくった映画の予告編とは

IBMは2016年に「Morgan」というホラー映画の予告編を作成した。つくったのはIBMのAI「ワトソン(Watson)」だ。

IBMはワトソンに、大量のホラー映画の予告編を分析させた。ワトソンはこの学習によって、予告編づくりにはどのような映像や音や構成が必要なのかを学んだ。

IBMはその次にワトソンに「Morgan」の本編を分析させ、この本編の映像や音を使って予告編を編集させたのである。

その予告編は以下のURLで視聴することができる。

https://www.mugendai-web.jp/archives/7221

確かにこの予告編は「予告編っぽい」仕上がりにはなっているが、「何か足りない」印象を受けるのではないだろうか。

そしてこの予告編をワトソンにつくらせたIBMの担当者も「AIに新しいものをつくらせるのは難しくないが、意外性があって有益がある新しいものをつくらせるのは難しい」と述べている。予告編の出来映えに満足していないようだ。」

AIがつくった芸術品の著作権はどうなる

今一度、AI芸術品の著作権について考えてみよう。

知的財産権に詳しいある弁護士は、AIが生み出した作品は著作物ではない、との見解を披露している。著作物でないということは著作権も生まれない。これは法律の解釈としては定着している考え方だ。

ただ「著作物になり得ないAI作品」とは、人間の関与はコンピュータのボタンを1つ押すだけで、あとは100%AIだけで生み出されたものに限定される。

だから先ほど紹介した人間とAIの共著の小説であれば、その小説の著作権は共著者の人間が保有することになる。

では、先ほどの肖像画の事例はどのように考えたらいいだろうか。AIをオープンソースにした元々のAI開発者が著作権を主張できるのだろうか、それともそのAIをベースにして特別な訓練を施した3人組が著作権を保有するのだろうか。

AIをカメラと考えるとわかりやすい。カメラマンが撮影した写真の著作権はカメラマンのものであり、カメラメーカーのものではない。

したがって著作権問題では、AIを道具のように使って生み出した作品は、AIの操作者が著作権を持つことになる。

それでは、本当はAIコンピュータのボタンを1個押しただけで誕生した作品なのに、ボタンを押した人が「自分がAIを道具のように使って生み出した」と主張したらどうなるだろうか。弁護士は、その主張を覆すことは相当難しいだろうと述べている。すなわち事実上、ボタンを1個押した人が作品の著作権を持つことになる、ということだ。

AIには、使えば使うほど「変わっていく」性質がある。

まったく同じ内容のαというAIコンピュータとβというAIコンピュータがあったとする。この段階でαとβに同じオーダーを出して絵を描かせると、同じ絵を描く。

ところがAさんがαを買い、Bさんがβを買い、それぞれ独自にAIを使い込んでいくと、今度はαとβに同じオーダーを出しても違う絵を描く。

αとβでは学習内容も学習量も異なるので「個性」が生まれてしまうのだ。

AI作品の著作権問題

AIが芸術市場の価格破壊を引き起こす?

AIによる芸術作品づくりが本格化すると、芸術市場やクリエイティブ市場に価格破壊が起きると考えられている。

その道のプロである作家たちであっても、常に最高傑作を生みだすことは難しい。そのことは作家のファンたちも知っていて、彼らは作家が並の作品をつくっても購入する。応援する意味もあるし、なじみの作家の作品なので親しみやすいということもある。

作家たちにとっては、並の作品が売れることで最高傑作を生みだすまでの生活費を確保することができる。

しかしAIが並の作品をつくれるようになると、状況は一変する。AIでの製作はコストがかからないので、AI作品は安く販売することができる。そうなると値段が高い人間の作家の並の作品は売れなくなるので、値下げするしかなくなる。

これでは人間の作家は余裕がなくなってしまう。最高傑作を生みだす機会を奪うことになりかねないのだ。

まとめ~AI作品の価値とは

多くの一般消費者は、特別に高価な芸術品やクリエイティブ作品を求めているわけではない。時間をつぶすことができたり、友人たちとの話題の種になったりすればよいことのほうが多い。

「この作家の作品以外は要らない」というこだわりを持つ人もいるだろうが、1人の人が 1つの芸術ジャンルで多くの作家に心酔することはまれだ。また人気は特定の作家に集中しがちだ。

つまりAI作品がそれほど浸透していない現代でも、新人作家や中堅作家は苦しい作家生活を強いられている。そこにAIという強力なライバルが登場すればさらに苦しい展開となることは明らかである。

魚の価値が「天然もの」と「養殖もの」で異なるように、芸術の世界でも「人間もの」と「AIもの」といった扱いになるのかもしれない。

<関連記事>
AIが作曲し音楽業界を変える【仕組みから事例まで】


<参考>

  1. 人工知能創作小説、一部が「星新一賞」1次審査通過(日本経済新聞)
    https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG21H3S_R20C16A3CR8000/
  2. 「AI」が書いた小説はどれだけ面白いのか(東洋経済)
    https://toyokeizai.net/articles/-/150155
  3. AIが描いた肖像画は、こうして43万ドルの高値がついた(WIRED)
    https://wired.jp/2018/11/29/ai-dollar-432500-piece-of-art/
  4. AIは人間と同じように、芸術性を獲得できるか?(mugendai)https://www.mugendai-web.jp/archives/7221
  5. AIが作ったコンテンツの著作権はどうなる?–福井弁護士が解説する知財戦略(cnet Japan)
    https://japan.cnet.com/article/35115900/
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